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  今、  備前焼の香炉に合わせて火屋を作っている。  身に付けるものと違って、 立体だし大きいし大変。  材料だけでも分量が桁外れ。 直径1.8mmと2.0mmの丸線を5メートル金槌でたたいたら、 人差し指の腹に水ぶくれができ、  薬指と中指の側面の皮が剥けた、そんなに仕事から遠ざかってたわけでもないのに。  その上、 制作にくたびれたら、 庭に出てよく草木を移植しているせいか(庭を大改造中なのです)、 いつのまにか手の甲にまでぶつぶつが出てきた。 むずむずする。 毛虫なんていなかったと思うんだけれどなぁ。
  今日は、 不調。  線で作った部品をなましていると先端が溶けたり、 ロウ付けしてて溶かしたいところの反対側を溶かしたり・・・・・全然、火が見えてないよ!  まるで生徒状態じゃない。(生徒さんごめんなさいm( ..)m) めったにない絶不調。  注意散漫な自分に滅入る。 
  今夜はもうこれくらいにして、 明日から心機一転がんがるぞ〜!!!     
2002.3.31 (日)
  今、 ヨーグルトの菌を飼っている。 そう、 今の私にとって、、 ヨーグルトの菌は、 ペットのようにかわいい存在なのだ。 
  1000ml の牛乳のパックを開け、 冷蔵庫の中から、 すでに出来上がってほとんど食してしまったヨーグルトの入った牛乳パックを出す。 とろとろとろっと新しい牛乳に大さじ2杯ほど流し込む。 そうして、 洗いおけに手を入れられる程度の温度のお湯を張り、 牛乳パックを漬ける。 息ができるように、 ふたを開けたまま、 ゴミが入らないようにティッシュでふたをする。
   これだけで、 朝には、 パックがパンパンに膨れ、 ヨーグルトが出来上がっているだ。  その様子を見ると、 あぁ、がんばったのね!って声をかけたくなるほど。 味は酸っぱくなくて、 牛乳をまろやかにしたよう。  感触も、 どちらかというとフルーチェ。  ティッシュのふたを開けると、 ヨーグルトの香りが漂うのだが、 それを封じ込めるかのようにふたをして、 冷蔵庫にしまう。  
  で、 食べたお皿を洗う時が、 またまたかわいい。 水と交わらず、 白く細く糸のようになりながら、 ヨーグルトの菌同士が手をつないで離れたくないよ〜って言っているかのような雰囲気をかもしつつ流れていくのだ。 
  ヨーグルトに元気をもらっている昨今の私の日常のひとコマでした。 今日の分だけ読んで、 変な奴だと思わないでね!   
  これを読んで飼いたくなった人いるでしょう?!  欲しい人は、こちらから
2002.3.29 (金)
  仕事場からも、 リビングからも、 窓辺に近づくと、 この時期、  何かかけがえのないものが横たわっているかのように、 ほの白く浮かび上がってくる並木。
  春にしては珍しく空は澄み渡り、 透き通った満月が時間を止めてしまったように周囲を照らす今夜、 陽の射している時にはない妖しい気配を 夕闇が近づく頃から密やかに漂わせはじめ、 人が寝静まったこの時間になると、 ようやく本来の姿をあらわにするのだ。  この静まりかえった空気の中で、 毛細血管を思わせる根から幹を通して、 血を絞るような思いで白い花を染めていっているにちがいない。 
  何年も、 毎日毎日、 眼下に桜並木を見下ろしていると、  桜には誰にも見せない姿があるのだと、 そんなことを感ぜずにはおれない。  人の心を捉えて離さない不思議な木。
  あと十日もすれば、 はなびらをのせた風が窓の外を流れる。
2002.3.28 (木)
  ここ数日、 大切な連絡を待っていた。
  携帯にあると思っていたら、 自宅に電話が来た。  姪が来て、 留守がちだったので、 連絡が取れなかった様だ。  世の中には、 そんなすれ違いで大切なものを失った人って、 いっぱいいるんだろうけど、 わが身になるときついね。  この度は、  出ても、 出なくても、 上手く運ばなかったんだろうと思う。 でも、 もしかしたらって.......って、 思っちゃう時もあるよね。  It is no use crying over spilt milk. なんでこんなのが頭に浮かぶんだ!  高校生の頃には、 丸暗記で内容なんて意に介さなかった構文。 今の私には痛い。  
2002.3.27 (水)
  22日、 横浜から一人で遊びに来た姪っ子に誘われて、 USJに行った。 しっかり12時間遊ばせて頂きました!  ジュラシックパークとバック・トゥ・ザ・フュチャーは癖になりそう。 それと、 夜の景色もね。
  で、翌日姪を新幹線に乗せ、ほっと一息と思いきや、備前焼の香炉に火屋を作ることになった。  いつもミリ単位の制作なので、 センチという単位のものには戸惑う。  なんてったって金属だから、  私の力で板や線を曲げるには限界って云うものが立ちはだかるのだ。 その上、 ロウ付けにはバーナーの火力も関係してくるしね。 で、 昨夜というか今日の未明、デザインが決定。 これから制作にかかる。
  Mさんには、 3月中には遊びに行くねと言い、 Oさんとは4月に入ったら早々に旅行しようねと約束したというのに。  よくよく働くように生まれついているみたいだ。 
2002.3.26 (火)
  三寒四温というけれど、まさにそんな感じの日々。 あったかいと思ったら、 肌寒い。 それなのに、 月曜に高取峠を走ったときには咲いていなかったが、 昨日は、 2本ほど満開。  千種川の東岸の山にも、 数本桜が咲いている。 赤い葉のほうの山桜はまだのようだが、 普通の山桜は開いている。 今日は、 家の前の染井吉野の蕾までもが、 濃いピンク色を覗かせている。
もちろんアーモンドの花も満開。  今年は、 異常に早いね。 千種川沿いには菜の花まで咲いている。 あれって、 桜が終わってから咲くんじゃぁなかったっけ?  とにもかくにも、 あたたかいのは嬉しいですが。 
2002.3.21 (木)
  先日ネパールに撮影に行っていたMさんが、 お土産を持って来てくれた。 いつものマッサーラやネパール紙の他に、  今回初めて黒い岩塩。  

  もう10数年前にネパールに行った折り、  この岩塩が欲しくて、 市場でこれだ!と思って買って帰り、 ホテルで舐めてみたら甘かった(^_^;)  なんと氷砂糖でした。  「チベットの医学」(?!)って云う本に、 日陰でざるに入れて並べてあるけれど、 陽にあたると変質するので、 上からむしろをかぶせて売っているから見つけにくと書いてあったので、 気をつけて見ていたにもかかわらず見つけることは出来ず、 英語のわかる店は、 きれいな袋入りの無色透明の岩塩しか置いていず、 結局解らずじまい。 
  その時、 なぜ黒い岩塩にこだわっていたかというと、 もちろんおいしさの点もあるけれど、 ヨードがたくさん含まれていて虫歯にならない上、 口内炎になったときなど、 お料理に使っただけでも早く治ると本に書いてあったから。  この2・3日、胃が痛いのだけれど、 この岩塩で早く治るといいなぁ。  
  時とともに忘れていて、 毎年ネパールに行っているMさんにも、 毎年神戸に来るサキヤさんにも頼んだことがなかった。  で、 この度、期せずして黒い岩塩に巡り会った、 という次第なのです。

  この岩塩は、 ヨードをたくさん含んでいるせいで あずき色をしている。 舐めてみると、 味は甘みのあるおいしい塩という感じなのだが、 硫黄やリンの匂いがする。 と、 仕事柄、 ピ〜ンと来た。  古美せる!(いぶせると読んでください。 いぶし銀の古美すですよ。) 
  私は、 普段、 塩化金で古美し、ヨード液で定着させている。 場合によっては、 硫酸銅を使うときもある。 でも、 解説書を見ると、 ムトーハップなどの硫黄成分でいぶす人もいるらしい。 ね! もうわかったでしょう。 硫黄とヨードが入っているとなれば、 水に溶かせば古美液になるってことですよ。 (温泉につかってリングが黒くなっても、 すぐに戻るのは、 ヨード等で定着させてないからなのです。)
  
 実際に黒岩塩の水溶液に銀のリングをつけてみると、 ちゃんと古美せました! 硫黄で古美した時の特徴ともいえる こげ茶系の色合いだけれど、 上に青い膜が美しく張りました。  この、 青い膜は美しい! でも、 その下のこげ茶色がちょっと気に入らないなぁ。  
  今、 塩化金より青黒く古美せる方法を模索中なのです。  化学の知識が豊富な方、 どなたでも結構ですので、 ちょっとしたアドバイスでもいただけませんかぁ〜! よろしく!
2002.3.16 (土)
  今朝、 アーモンドの花が咲いた。  まだ、 たったの一輪だけで、 あとの蕾はまだ固そう。 庭では、 貝母百合や口紅水仙が満開。 日当たりのいいリビングには、 シンビジュームにヒヤシンスが咲いている。  今年初めてヒヤシンスを数株植えてみたのだが、 咲いてみてびっくり。 なんともいい香りなのですよ。 大仰な花なので、 これまであんまり好きでなかったんだけれど、 こんなにいい香りがするのなら、 これからは毎年鉢植えにしようと思ってしまうほど。   
2002.3.15 (金)
  私にとって、 インターネットのありがたい特典のひとつがメールマガジン。  photoshopの解説書の著者が発行しているマガジンとか、 風水、 お薬の豆知識、 ちょっとした心理学とか、 生活の中の化学などなど、 登録さえしておけば送信してきてくれる。 本屋に行くこともなく立ち読みできる感覚。 
  心待ちにしているメールが来ない今日、  届いたマガジンを読んでパソコンを閉じよう。 
2002.3.13 (水)
  今朝、  この春初めてのうぐいすの鳴き声を聞いた。  
  今年は、 椿の花が早く咲き、 3分の1咲いたところで途中やめになってしまった。 残りは固い蕾のまま。 こんな年はめったになく、 おかしいなぁって思っていたら、 椿の花に群がるメジロも来ない。  ちょっとがっかりしていたところ、  今年は例年になく鶯が早い。  
  近ごろ、 飲みに誘われることが多い。 以前は、 年に何回かって程度だったのに、 最近は、月に何回かだ。  夜を楽しんでいる人達がこんなに多いとあらためて知った。 こうして、 今夜も遅く帰って、 うぐいすのことを書きたくて深夜パソコンに向かっていると、 携帯にメールが入った。 みんな、 昼間の疲れをニュートラルな状態にもどす時間が必要で、、 遅くまで起きているのだろうか。 
2002.3.12 (火)
  未明には雷鳴と稲光が激しかったわりには、 今朝は青空のひろがる穏やかなお天気。 週末までお天気が続くらしいので、 庭木に薬を噴霧した。
  妙なもので、 家人の元気がないときには庭木も弱る。 4年程前父が体調を崩し、 母もダウン。 私も元気の出ない年月を過ごした。 庭木に手が回らなくなると、 うどんこ病などの軽い病気からはじまって、 黒星病や重症のもち病が蔓延。 あまりのひどさに見て見ぬ振りを決め込んでいた。
 去年の春頃からちょっと元気が出て、 殺菌剤を何度もやったせいか、 冬には久々に万年青、 万両、千両、 南天にもちの木などがたくさん実をつけた。 5種類ほどあるオールドローズの葉も青々としてきた。 あともう少しで、 椿やさつきも元に戻りそうだ。   
 こうして振り返ってみると、 どうしようもなく過ごした3年間って、前厄、本厄、 後厄の三年間にぴったりと会う。 厄年からも2月で脱出。 これって、男の人だけで、 女性には関係ないのかな?! でも、  最近、 いっきに元気になって、 庭だけでなく、 これまで気になっていた家じゅうのあらゆるところを整理している。   
2002.3.11 (月)
2002.3.10 (日)
  このひと月、 庭の大きな木を切り倒して、手入れが楽な低木と草花にしようと、 暖かな日を見計らってはがんばっている。  
  今日は、 お茶の木の跡に葉蘭を植え替えようと、 庭の隅にある株を掘りおこすと、 なんと根元に花が咲いていた。 (葉蘭って、 お弁当に入っている緑色のビニールの仕切り、 あれの本物。)  生まれた時から庭には植わっていた葉蘭だが、 花が咲くとはこの度初めて知った。  地面から直接半開きの水仙の花首が上を向いて出ているような形状。 高さ4・5センチ、 乳白色で産毛が全体をおおい、 花びらの先だけ小豆色。 たとえようがないので水仙といったが、 どんな花に似ているなんていえない独自の形をしている。 子供の時から、庭には結構珍しい花が揃っていて、  花には詳しいつもりでいたけれど、 足元を掬われたっていう感じの驚きだった。 
 今夜、 南果歩の「幻の光」という一人芝居を見に行った。 宮本輝の原作は、 10数年前に読んだが、  うろおぼえにしか記憶になかった。  芝居を見ながら、 どんどん内容が甦ってきて、 科白と記憶が交錯しながら妙な感じで見ていた。 

  窓という設定の菱形に切り抜かれた枠と、その両側に黒い薄いドレープの入った布だけの簡潔な舞台が、  奥能登の漁村の中の一軒の家の2階という設定をさらに抽象的な位置に感じさせ効果的であった。 そして、 そのドレープにライトがかすかにあたって揺れる様子が、 海がきらめく様、 彼女の揺れ動く心を象徴しているようでよかった。 

 なんの理由もなく幸せの中で自殺した夫。 その記憶から逃れるように奥能登に嫁ぐ主人公。 そこで彼女も子供も優しく受け入れられ 幸せに暮らす。 しかし ふとしたときにかつての夫の姿を思う。 嫁いで数年して、 彼女は初めて 前夫が自殺したことを他人に言える。 そしてその夜、 夫とも初めて前夫のことが話題になり、 酔った夫は、人間は精が抜けたら死ぬしかないと言う。 
 その言葉に、 彼女はなんとなく妙に納得がいく。 そして、 自分も、ふと精が抜けてしまいそうな瞬間を持っていることを認識し、 時折きらめく海の光る様は、 あたかもその瞬間に、 誘っているようだと感じながら幕を閉じる。
  
  最後のほうが、この芝居ではちょっと曖昧でだった気がするが、 1時間半、 まわりの人々は、 身じろぎもせず彼女に引き込まれていた。 淡々としながら、 離さない凄みがあった。  もう一度、 原作を読み返してみよう。 
 そして、 また、 誰しも、 そういった瞬間を持っているのかもしれないという気がした。 意識しても しなくても。    
2002.3.4 (月)
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